亀山神社 御朱印

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 呉駅から、三原方面に向かって15分程歩けば「亀山神社」にたどり着きます。詳しく書くと、R185の「四ツ道路」交差点から西に進み、ファミリーマートの横から上がって行きます。
 京阪神に住んでいる身からすれば、「亀山」といえば関西と中部の境界である三重県のそれを思い浮かべますが、ここ呉の入船山近くも亀山という地名をとっており、そこから今の亀山神社に至っています。しかし、由緒によりますとこの社名になったのが明治維新後の事であり、また呉鎮守府設置の折に現在の地に遷座されてます。その亀山神社の社名に至る変遷を見てみると、大屋津日売神社、鈴音宮、日売島神社、大帯日売神社、八幡宮、皇城宮、と多岐の変遷を経ているのがわかります。最後の「皇城宮」は奉献された灯籠に名を残して、八幡宮は現在も「八幡さん」と呼ばれているのでその名残があるのがわかります。
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▲参道の入り口。
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▲一の鳥居を抜ければ、正面に社殿が見えます。

 「八幡さん」や「宮」の名を示しているように、御祭神は八幡神である応神天皇、そしてその親である仲哀天皇、神功皇后です。八幡神は全国津々浦々にありますが、北九州から瀬戸内にかける神社にはその多くに神功皇后も祭神として祀られている事が多々あります。ここ亀山神社も同じです。北九州、瀬戸内という海を近くしたこと、三韓征伐にあたって近しいので信仰が集まったのでしょうか。神功皇后は、海人に好まれそうですし。また主祭神の仲哀天皇は欠史八代同じく、その実在がかなり疑わしい天皇ではあります。高穴穂宮だったころに仲哀天皇に産湯つかった井戸が、滋賀県の「高穴穂神社」近くにあるそうですが。それも史実と照らすと……。父親が父親ということありますし、ただその急逝を見ると事実、モデルになるような権力者がいたような気もしますし。ただし、歴史としてしっかり編纂されるまでは記紀自体が神話と伝説、そして史実がごちゃごちゃと合わさっているものですし、そもそも神仏のものが実在する・しないは歴史家以外、私のような一般の参拝者には遠く些細なことです。
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▲社殿。

 さて、珍しく由緒からの事を簡単に書きましたが、境内が縦に長く広々とした気持ちのいい神社です。少し高台に設けてあるので昔は鎮守府を見渡せたのかもしれません、今ももちろんそんな呉の鎮守的な神社ではないでしょうか。
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▲御朱印、達筆です。久しぶりに初穂料が、「お気持ち」というところに出会いました。


 以上。㍻25年10月6日

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